第1日 2009年8月18日(火)
                
 行程表や宿泊ホテルの資料などをコピーし、荷造りをし、短時間眠っただけで朝を迎える。普段の生活と変わらない、いつものパターンだ。
 妻の中国行きの際には成田まで送っていったはずだが、妻は送りのことはまったく口にしない。送っていこうかと問われれば、辞退するつもりだったのに。路線バスで最寄り駅まで行くつもりだったが、駅までは送ってくれる。彼女はそのまま職場へ。それでも別れ際に言った、わたしが。 「留守中のことは頼んだよ」と。

 千葉駅に着き、駅前の銀行へ。トラベラーズ・チェックを購入するためだ。
 まず、取引銀行へ行く。外貨の扱いは、なんと10:00からだという。仕方なく隣の外資系銀行へ。案内係に3万円をと言ったつもりが、語尾を聞き取れなかったらしく、「3万ユーロ」と驚かれる。それでもあとは、スムーズに運んだ。ユーロ現金への両替は出来ないというので、空港ですることにする。



成田で
 予定通り、10:00発の快速に乗る。車中、国内専用のケータイを使って、資料の購入を頼まれた方に確認メールを入れる。ついでに、旅行社に勤める従弟に「万一の時は、後はよろしく頼む」と打つ。飛行機に乗るときは特別だ。

 運営主体がいつの間にか新東京国際空港公団から成田国際空港(株)となった、成田国際空港第2ターミナルへ到着。
 3階へ上がり、ケータイブースでレンタル機を入手。自前機から I Cチップを取り出し、レンタル機へ挿入。マニュアルにやたらにマーカーで線を引きながら操作方法を説明してくれるが、「必要なときにマニュアルを読めばわかるだろう」とうわの空。自前機のデータは赤外線機能で移せるということと、現地に着いたら現地時間に合わせる操作をするようにということだけは記憶した。

 さあ、チェック・インだ。
 エコノミーのカウンターは奥の方だ。初めてなので、機械ではなく有人窓口へ行く。内側に係が居るのでその前に立ったが、隣のカウンターから声がかかる。まっさらなパスポートと、自前のプリンターで打ち出した航空券控えを差し出す。機内持ち込みが可能な程度のキャリーバッグだが、鍵をかけて預ける。デイパックを背負い、手提げをもつ。手提げは構わないそうだ。女性のハンドバッグと思えばよい。
 研修中の名札をつけた係から改まって聞かれた。
 「窓際のお席で構いませんか。 こちらの都合で、お席をプレミアム・エコノミーに変わっていただきたいのですが」と。
 それで応えた。
 「えっ、アップグレードですか。それなら異存はありません」と。18Aと指定された。その席のありがたさは、帰りのフライトを経て理解できた。その時はただ、「ラッキー」と思っただけだった。4月に見送ったC氏は、ビジネス・クラスにアップされた。20日に出発したA氏は「5万円の追加でビジネスにアップできるが、どうか」と持ちかけられたという。同じ便で先にチェックインしたB氏には打診がなかったという。選別の基準はどこにあるのだろう。わたしの場合は、マイレージクラブ会員だからか。
 身軽になったところで、ユーロ現金の調達だ。いろいろな銀行が出店している。地元の地方銀行を選ぶ。この時点で、「持参したお金が少なかったかな」との不安を感じる。

 現地では小銭ジャラジャラ状態になると聞いたので、小銭入れを購入、ついでにのど飴も。
 無料で休憩できるはずのカード会社のラウンジをのぞく。第1ターミナルにあるその会社のラウンジは、入り口でみる限り「静謐」である。その社専用らしい。ところが第2ターミナルのそれの内部は、喧噪そのもの。機内で使うものを整理しようとしたのだが、その気は失せる。すぐに退出。カードについて確認したいこともあったのだが、ラウンジは各社共通で茶菓の提供をしているに過ぎないそうで、カード会社のブースを紹介された。
 ブースで、「非常連絡用の電話番号一覧表」を求めたが、それはないという。カードの裏に記載されているから、それを見て欲しいという。カードを紛失したら、その番号もわからなくなってしまうではないか。番号を手帳にメモするしか防衛策はないと知ったのだが、結局メモはしなかった(嗤)。何ごともなくて何よりだった。

 いよいよ未知の世界に踏み込む。
 長男と妻とC氏を見送りに来たが、一緒にいられるのは手荷物検査場の前まで。そこから先は未知の世界だ。
 最初の係に指導を受ける。搭乗券をパスポートにはさみ、「こういう風にしてお持ちください」と。
 デイパック、手提げ、カーディガンまで籠に入れる。無事通過。前の客が荷物の整理をしているのをみて、わたしもすることにする。「ケータイを忘れた方、いませんか」と問いかける声が聞こえる。あわて者がいるんだと思う。

 あれが税関の申告窓口なのかなというコーナーを左にみて、出国審査へ。
 「お願いします」とパスポートを差し出すと、何も聞かれずに「最初の」スタンプが押された。「気をつけて」の言葉くらい、あったような気がするが…。

 搭乗ゲートはハズレにある。そこへ行くのはまだ早い。
 免税店をのぞくが、化粧品、衣料品、酒、たばこなど、往路で求める必要のないものや、わたしの関心のないものばかり。昼時だ。機内食の入る余地を残す程度のものとして、一軒しか見つからなかったレストランで「うどん」を食べる。窓際の席で流し込んだ。
 外を見ていると、かなり遠方に二つの機体を発見。あそこから滑走するのかなと予測したが、その通り、前の機が走り出すと、後ろの機が前へ進み出た。わたしの席の背中が成田の市街地だというから、太平洋へではなく、内陸へ向けて飛び立っているのだ。その先は、どういう飛行ルートをとるのだろう。


 63搭乗ゲートへ向かう。途中にJALのラウンジがある。客を囲い込むための会員組織にはさまざまなランクがある。そのマークが入り口に掲げてある。得意客を優遇するのは当然としても、該当しない者にとっては感じはよくない。この時のわたしはマイレージのポイントはゼロ。プレミアムにugされていても、利用は出来なかったのだろう。
 動く歩道を何基も乗り継ぐと、やっと機体が見えた。しかし、なんでこんな遠いゲートを使うのだろう。
 B777−300ERという双発機で、機体番号は JA731J。尾翼が緑に塗られているのは、空のエコ運動に協賛しているからだという。前面の吸込口は直径3bもあるそうな。


 63ゲート待合室はほぼ満席。子どもが多い。この子どもたちの座席をまとめるために、わたしがはじかれたのかも知れない。公衆電話から、留守電に吹き込む。「いよいよ搭乗する」と。固定電話のある部屋に「引きこもっている」次男は聞いたはずだ。これがわたしの最後の言葉になるかも知れない。


機内で
 ファーストクラスから搭乗がはじまる。優先コールにプレミアム・エコノミーはなかったので、過半の客が乗り込んだころを見計らって列に並ぶ。
 12:45、いよいよ乗り込む。機体に入ってすぐ、右に折れる。18Cには日本人男性がすでに座っている。少し脚をずらしてもらって、A席に座る。座席にはすでに毛布と枕が置かれている。これらはリクエストした客に貸与されるものだと思っていた。スリッパが付いていたので、それに履き替える。シートピッチが狭いので、シンドイ作業だ。脱いだ靴を前の座席の下に押し込むと、フットレストがうまく降りない。手提げを足下に置く気にはならないし。う〜ん、手狭だ、窮屈だ。用意してきたスリッパやアイマスクをデイパックにしまう。それを頭上のBOXに入れたいが、通路に出なければ不可能だ。C席にとっては迷惑だろうから、客室乗務員(CA)に頼んだ。
                 JALのサイトから。レッグレストも付いている。

 せわしない時が経ち、JL407はついに滑走路に向けて動き出した。しばらく走った後、一時停止することもなく、右折してすぐにスピードを上げた
   *デジカメで撮った窓外光景をアップしたいのだが、ファイルが50MBもあり、成功していない。

 13:16離陸。飴をしゃぶり、耳栓を使ったので、高度上昇に伴う気圧変化には対応できた。
 水平飛行に移ってから、CAが新聞をもって廻ってきた。邦字紙は日経しかなかったので、それをもらう。わたしにとっては、あまり読むところがない。その際CAは、17Cと18Cの客に「○○様ですか。いつもご利用ありがとうございます。…」と声をかけていた。ラックレートに近い価格で航空券を購入した客なのだろう。社用族に違いないと思う。

 14:00、食事だ。前の座席の背もたれからテーブルをおろし、引き出す。とても広い。トレイを載せてもカップをおける余裕がある。追い立てられる感じで、1個ずつ平らげた(献立表が用意されており、それを持ち帰ったはずだが、ただいま行方不明)。30分ほどで終え、トレイが下げられたが、その後もお茶やコーヒーが供せられる。飲み過ぎると、トイレが近くなるのでセーブ。機内食をを撮りたかったのだが、離陸風景を撮影してデジカメのメモリーが一杯になってしまっていた。大容量のメモリーはデイパックの中、それを取り出すには通路に立たなければならない。だから、やめた。
 食事の後はトイレが混雑すると聞いていたが、それほどでもない。でも、もよおしたので行く。狭いながらも機能的に出来ている。スッキリして席に戻る。

 まだ10時間以上かかる。隣席と話してみたいが、ヘッドフォンを耳に当てているのは、話しかけられたくないという意思表示なのだろうか。そういえば、わたしだって耳栓をしている。前方の壁の画面に映し出される飛行地図を見ていた。
 機は日本海を北上している。画面には、現在地を示す地図、高度・速度・外気温、日本時間・Frankfurt時間が順に表示される。Khabarovsk付近からロシア領空に入る。
 16:00、高度10600b、外気温−54℃とでる。貨物室に潜り込んだ密航者が凍死するわけだ。

 新書をもっていたが、目の前のビデオ・オン・ディマンドのテレビを試す。目前のこの画面でも、飛行情報を確認できる。番組は盛りだくさんだ。タイトルは知っているが、みたことはない映画を洋画と邦画、一本ずつみる。もう一本というところでやめた。
 それにしても足下が寒い。短めの靴下なので、膝サポーターとの間の無防備部分が冷えるのだ(もちろん、長ズボンだけれど)。上半身も冷えてきたので、カーディガンを羽織る。18C氏も長袖シャツを着た。

 機内では買い物をする客が多いようだ。CAが商品のビジネスバッグをもって行き来している。18C氏はカタログを見て、アクセサリーを購入した。CAがプレゼント用に包装し、「よい贈り物になりますね」と言って、手渡していた。
 17C氏がパソコンを取り出したぞ。仕事かとのぞき込んだが、ゲームをしていたようだ。18Dは学生風の男。ビールにワインと酒ばかり飲んでいる。高空では酔いやすいと聞いているが、大丈夫なのか。通路を歩くお年寄りが2〜3人。エコノミークラス症候群対策だろう。画面でも体操の案内が入る。担当のCAはアデランスのようだ。女性なのに、どんな事情があるのだろう。

 20:00、ウラル山脈を越えるころ、調理パンとスープが供された。腹が空いたときのためにと、パンとあられを用意したが、これなら無用だ。
 22:30、ヘルシンキを過ぎ、バルト海上空を飛んでいるとき、着陸前の軽食が出てきた。この頃の高度が最高で、11582bだった。
 23:30、オーデル・ナイセラインの北の町、シュティッテン付近からドイツ領空に入る。いよいよドイツだ。Bundesrepublik Deutschland !!
 23:50、Berlin上空を通過。
 24:10、すべての機内サービスが終了となる。上天気で、地上がよく見える。茶色がかった緑の大地だ。旋回していても主翼のフラップは全然動かない。尾翼でコントロールしているのだろうか。空港が確認でき、いよいよ着陸だ。高度は下がっているがフラップは動かない。いつ動かすのだろう。窓からじっと見つめる。ストンというランディング。エンジンの逆噴射、その瞬間、フラップが立ち上がった。風を一杯に受けて踏ん張る姿は感動的だ。
 現地時間の17:30過ぎ、無事着陸。自宅の留守電に吹き込んだわたしの言葉は、最後のそれにならずにすんだ。

 Lufthansaの機体と旗が林立する誘導路をだいぶん走って、ゲートに付いた。



フランクフルト国際空港で
 18C氏が頭上のラックからデイパックをおろしてくれた。
 彼には着陸寸前に話しかけた。「ドイツには何度も来ているのか」と。さらに「着陸後はどこへ向かうのか」と。
 これには、訳がある。こうだ。
 海外初めてのわたしとD氏が合流するとしたら、空港出口が最も確実だ。しかしD氏は、わたしの到着以前に空港に着くことは出来ない。どちらの到着が遅れたにしろ、ホテルで待ち合わせるのが最も楽だろう。幸いに、空港「直結」のホテルもあった。中央駅の Intercity Hotel なら、初心者でも行けるでしょうとの意見もあったが、事情に通じるD氏は「そのわずかの間に悪い奴がたむろしているのです、あそこは」と言った。
 で今夜は、その直結ホテルに泊まる。しかし、そのホテルの案内表示が、予約サイトのクチコミによれば、とてもわかりにくいという。ホテルサイトの案内図や空港の見取り図を探し出してイメージしても、曖昧なままだ。出発前々日、B氏に「そんなことを気にしてるんですか」と呆れられた。何せ、初めての海外だから仕方がないでしょう。着陸するころ、「ホテルにたどり着けるか」、それがわたしの最大の関心事だった。だから、あわよくば18C氏に案内を無心しようと考えたのだ。
 彼の答えは…。「乗り継いでミュンヘンに向かいます」だった。期待は潰えた。自力で行くしかないと覚悟を決めた。彼はドイツには仕事で何度も来ているが、Berlinには行ったことがないそうで、わたしの行程を羨んでくれた。
 彼とは降機直後は一緒だったが、乗り継ぎ案内を見ている間に離れてしまった。わたしが入国審査場への階段を下りている途中、彼は降りずに、足早に通路を直進していった。

 引き続き、未知の世界。
 だだっ広い審査場に人影はまばらだ。「EU以外」の列に並ぶ。わたしの番だ。Bitte 、と言ってパスポートを差し出す。隣席の審査官と話しながら、係官は「こんにちは」と言った。まだ話している。スタンプを押した。まだ話している。「ありがとう」と返してよこした。Danke と返した。まだ話していた。

 つぎは成田で預けたバッグの引き取りだ。
 周回するコンベアの中央部から荷物がせり上がってきて、コンベアに滑り落ちる。結構な勢いで壁に当たる。頑丈なトランクにすべきだったかと思う。しばらくしてJALの名札をつけた現地女性が現れ、ぶつかる寸前の荷物を押さえだした。JALならではの心遣いではあるまいか。ほどなくわたしのバッグが現れた。件の女性は乗客となにやら話している。わたしは壁にぶつかる前にすくい上げた。
 預かり証とバッグのタグをどこかで照合する手続があると予測していたが、その場が見つからないまま、出迎え者が待ち構えるゲートに出てしまった。C氏は……、来ていなかった。

 そこは第2ターミナル。第1ターミナルへ向かうシャトルに乗るのだ。乗り場は探すまでもなく見つかった。乗り込む。目の前に日本人夫婦。話しかけようかと考えいるうちに発車。振動でバッグが傾く。外国人にぶつかった。 I'm sorry. 初めて発した外国語だった。いや違う。入管で、Bitte とか Danke と言っていた。
 車中からホテルのあるはずの辺りを必死に探す。…
 ……
 あった! ホテルだ! 見えているところに行けないはずがない。緊張が解ける? まだまだだ。
 第1ターミナルに到着。エスカレーターで下る。その時、ホテルへの案内表示を発見!
 地上に降りて表示の通りに進み、エスカレーターで昇る。目の前にホテルが見えた!! やった! だが、安心するのはまだ早〜い!!

 玄関を入り、フロントへ進むまでに考える。英語の達者なD氏が来たら、一緒にチェックインしようと考えてきたが、まだ17:50。D氏の到着までにはだいぶん間がある。よし、先にチェックインしよう。
 カウンターのスタッフから声がかかる。Hello! でもそこは Cashier と表示されている。だから向かいのカウンターへ進む。Check-in please. と言うと、あっちだという。元に戻る。
 cashier カウンターに予約票を提示し、再び Check-in please. パスポートを出す。
 もう一人はどうしたと聞かれたように感じられたので言った。
 He comes from Venice by train. He will arrive soon.
 自分で驚くほどに、それらしい英語が口をついた。そして通じたらしい!!

 ルームキーのカードを受け取る。朝食券はない(あとでD氏に聞いてもらおう)。ベルマンはいない。さっき通ってきたエレベーターホールへ向かう。乗り込む。ボタンを押しても反応しない。そのうちにドアが閉まり、アレアレ、下がってしまった。停まったところで扉が開いて外人が一人乗り込む。 Seven と言うと、わたしのキーを穴に差し込んで「7」のボタンを押してくれた。7が光った! フロント嬢が言っていたのはこのことだったのかと、ようやく合点する。彼は途中で折り、わたしは7階へ運ばれた。
  降りて表示を見ていると、メイドが通りかかり、May I help you? 部屋番号を告げると、「まっすぐ行って突き当たりを右」と言ったように思われたので、その通りに歩く。部屋があった。
 やったぁ! 部屋に入れたぁ!! これで三分の二くらい安心できた。

 室内の写真を撮り、荷物を整理して、レンタル・ケータイを現地モードに合わせようとする。しかし、ロンドン時間が表示される。そうしたら、D氏から「もうすぐ着くよ」とのメールが届く。出迎えのためにロビーへ。ベルリン時間を表示させようと何度も試みるがダメ。
 そうこうするうちに、D氏が現れた。飛びつきたいくらいに嬉しくて、しかし全身の力が抜けるかと思ったが、…18:40。 これで100%の安心だ!!!



8月18日はまだ終わらない。
 ホテル内のレストランで夕食。やはりドイツ料理の店だ。
 黒服に案内されて、席に着く。まずは Bier(ビール)。合流出来たことと明日からの無事を願って、乾杯。
 はじめのページからメニューを見ていると、D氏が言う。「ドイツの料理は量が多い。洗面器のような皿に盛られてくる。わたしはよくサラダを頼みます。パンも付いていることが多いので、一品で満腹になります」と。ではそれで言ってみようと決まる。D氏がポテトベースのサラダを頼んだので、わたしは魚ベースとする。燻製サーモンの上に、山盛りの野菜がのっていた。
 ウェイターが「うまいか」と何度もやってくる。追加注文を期待してのことだという。ビアーも入っており、胃袋に隙間はない。
 レストランにはレジがない。それぞれの席で支払う。Zaehlen bitte! と声をかけると、ウェイターが大きながま口をもってやってくる。現金ならそこで支払い、カードなら伝票を作ってもらってサインする。 (帰国して調べてわかったこと。この店の名は TAVERNE という。日本語サイトでは「タベルナ」と標記されている。)

 店を出て、まだ21:00前。Die Bahn(DB)の空港駅にあいさつに行く。
 鉄道口の玄関を出れば、そこはもう駅コンコース。閉店間際の売店で水を買う。最初はガス入りに挑戦。19%という半端な消費税がかかるので、2ユーロを超える。はじめてユーロを使った。
 先に進むと出札室があった。時間も遅いので、係は2名で、先客は1人。German Rail Pass のバリデーションを頼む。駅員が券面の所定欄にパスポート番号、使用開始日と終了日とを記入し、きょうの日付印を押す。これで終わり。この手続をすると、もう払い戻しは出来ない。
 わたしのパスは、8月19日から9月18日までの1ヶ月間に任意の5日を選んで使用できる。使用する日は、所定欄に本人が日付を記入し、車内改札で車掌に日付印を押してもらう。揺れる車内なのにねらいをはずさずに、ぴたりと合わせる。発売額は268ユーロ。常備券のような有り難みはない。

 壁面には各地への時刻表(パンフ)が並べられ、自由にとってよい。DBの列車や機関車のバッジ、マグカップなどの鉄道グッズも売られている。これからめぐる諸都市でも買えるだろうと、眺めるにとどめる。鉄道地図をもらって、引き上げる。

 ホームに向かう。コンコースからホームが見下ろせる。ちょうどユーロシティが到着した。
 Hauptbahnhof(中央駅)方面からやって来て、Hamburg方面へ向かうのだろう。(ケータイで撮ったこともあり、ピンぼけご容赦。)

 明日からは、いよいよ列車に乗れるのだ。それを楽しみに引き揚げよう。ホームへ降りるときに見かけた男が、コンコースで声をかけてきた。もちろん無視する。ホテルの玄関を入れば、コンコースのざわめきも消え、別世界。
 エレベーターではカードキーを差し込み、階ボタンを押す。少しくたびれた感じの廊下を歩み、部屋に到着。隣室のD氏と明朝食の時刻を打ち合わせて、入室。31時間に及ぶ1日もまもなく終わる。(09.09.15記)

● ホテルについては、こちら